明日の出来事が分かるとしたら、人生は楽しいですか?
と問いかけてみる。
楽しいと答えた時、今が楽しいのでしょう。
楽しくないと答えた時、何かに悩み少し苦しいのかもしれない。
毎日が楽しくて仕方がないと思えるのは、辛い日々を知っているから。
毎日が辛いと思うのは、楽しい日々を知っているから。
苦しくて誰かに助けを求めたいとき、そばに誰かが居なかったとしたら。
それが命に関わるような事でないとしたら、自分でどうにか出来そうな事だとしたらと考えました。
人間という乗り物に乗っている。
この世に生まれてからずっと乗っている。
何のために乗っているのか?
生まれたからには死にます。
死に向かって生きている。修行をするために乗っています。
生まれて死ぬまでのシナリオはすでに決まっている。
悲しみに浸っている時間も、楽しんでいる時間も全て決まっている。
としたらどうでしょう?
自分のシナリオを恨むのか?
どうして私がと嘆くのか?
私は人間という乗り物に乗って、死に向かって修行をしています。
この乗り物にはメンテナンスが必要です。
例えば、顔を洗い髪の毛を整えて見映えを良くしたり。
運動をして足腰を鍛えたり、スリムになると周りから視線を集めたりします。
毎日メンテナンスが必要です。
前から後ろ、上から下まで見回してキズはないか?汚れは無いか?
メンテナンスを怠っていると、楽しい時に故障したりします。
無理をするとどこかに傷が出来たり、動かなくなったりするのです。
自分ではキチンとしていても、誰かに傷を付けられたりすることもあります。
あなたの乗り物は、見栄えのいいスポーツカーですか?
大切な人も乗れるワゴン車です?小回りが利くミニカーですか?
例えば、失敗をして傷ついたと落ち込んだとしたら、同じ失敗をしない様にしようと前を向きましょう。
思うように進まないときには、もう一度始めから考えてみましょう。
ドライブしたときに、道に迷ってしまった。
どこで間違えたのか?引き返して、正しい道に戻るのか?
遠回りだったけど、貴重な体験ができたことを感じるのか?。
それが修行だと思います。無駄なもは何もないのです。
辛くて立ち止まったとしても、打ち寄せる波の様に周りは動いています。
波は立ち止まった自分を超えていきます。
過ぎていく波に引け目を感じたり、絶望したりする必要は一切ない。
もし辛いと思うのであれば、それは試されている。
どこまで修行ができたのか試されている。と考えると、少し楽になるかもしれません。
修行の身、謙虚にしていないと痛い目にあいます。
修行中、身を慎みなさいとお叱りがあるかもしれません。
お叱りを受けない様に生きるのも修行。
どんなに偉い人でも、どんなに優れた人でも、この世にいる限り一日24時間。
明日の出来事は見えないと思います。
運命というシナリオは変えられないのです。
今、与えられた場所で日々の修行をする。
身近で死に遭遇したら、とんでもなく悲しい。
目の前が暗く、何も手につかないかもしれません。
生きていく事が辛く、何かを恨むかもしれません。
それも修行かもしれません。悲しみに耐える修行。
死を迎えた人は、修行が終わったのでしょう。
辛く悲しいと死を望んだとしても、修行中だと思いは叶いません。
生きていたくても修行が終われば、乗り物から降りることになるのかもしれません。
誰かの助けを受けての修行でも、基本は一人です。
一人一人がしっかりと理解して修行が出来るといいですね。
見えない明日が素敵な修行になりますように